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まちくさという磁力

まちくさを探す行為にはまず「町に出る」ことが前提となる。
町に出る。それは、私的でプライベートな空間から
社会や公の場に足を踏み出すということを意味している。

「町に出る」という行為は誰もが日常的に行っていることであり、
通勤通学であれ、買い物であれ、何らかの目的を持って人は町へ繰り出す。
そしてそれはごく当たり前のことで、日々の生活に組み込まれた
一連の流れのように人は移動していく。

では、まちくさを探すことを目的に「町に出る」とどうなるか。

人はまちくさを探すことで、いつもは「過ぎ去る」だけの町の路地に「留まる」ことを始める。
しかも見ているものが路肩や排水溝など路の脇や隙間にあるものだから、
それを探す人の姿は滑稽で誰が見ても不審で怪しいものになる。(さらに平日の昼間なら不審者上級者)

そんな怪しい姿を見て声をかけてくるのが、町の住人であり生活者のおばちゃん達である。
はじめはおばちゃんも不審な目をこちらに向けているだけだが、
やがてたまらず話しかけてくる「何してはんの?」
そこで間髪入れず「この草を見てるんです。」と答える。

そこからはもう終始おばちゃんペースで話が盛り上がって行く。
ユーモアのある冗談を交えながら、だいたい最後は草なんて関係ない
世間話に花が咲き、ご親切に「あっちにおもろい草あるで!」と草の道案内までしてくれる。
こちらはまちくさを探すことで時間の余白を持ち、
おばちゃんも正午の余白の時間を持てあましている。

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普段、私たちは時間に縛られて生きていることで人と人の交わりに知らず知らずに
制限をかけているように思う。ただ、その時間の縄から解放されたとたんに、
こんなにも見ず知らずの人は仲良くなれるのか。

ゆるゆるになった時間の縄の間に漂う空間は、ある磁力を放っていて、
それに反応するもの(磁石)どうしをごく自然なかたちで結び合わせてくれるようだ。
「まちくさを探す」という行為は、その磁力と対になるものなのかもしれない。

まちくさを探すなかで出会う人とその関係。そこで生まれる会話。
その間にあるものが何なのか。その隙間を見つめていきたい。
by machikusa | 2015-04-03 19:51 | 博士の思草
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