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まちくさという視点の制約

旅の途中「まちくさ」という視点を持って町を歩くなかで感じることがある。
それは、初めて訪れる町にもかかわらず、目にみえる景色すべてが懐かしく、
歩く道がいつも自分の住む町の路地にある一筋のように思えてしかたがない。

それは「まちくさ」という視点がある一定の制約を持ち、
自分はその制約に沿って町をみているからなのだろう。
言ってみれば、五感を通して外界から受け取る刺激や情報を制限し、
ほぼ無意識的に選択・選別している状態なのだ。
いや、選択させられているというほうが正確かもしれない。

例えば、着ぐるみを被り町を歩いていると想像してみよう。
着ぐるみは動きにくい、どうしても動きはぎこちなく、歩くスピードは
いつもの半歩以上遅くなる。スローモーションのように動く。
また、その着ぐるみに小さく空いた穴から覗く外界の景色はどうだろう。
その小さな穴2つが唯一、外界と自分とをかろうじて繋ぎとめている。
その穴からみえる世界は、日常とは少しずれた別の世界のように映るだろう。

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このように、「まちくさ」の視点を持つということは
「まちくさ」という着ぐるみを被っている、と言えばいいすぎだろうか。

ただ、この「まちくさ的」視点を、旅先だけでなく日常のさまざまな場面に転用することで、
誰もがその一つの制約に寄り添いながら、自分が現実だと思いこんでいる世界に
もう一つの分かれ道を見いだし、そこを悠々と散歩することができるはずだ。

視点の制約こそが、凝り固まった日常や現実の壁を越えてゆくヒントになる。
by machikusa | 2015-03-20 22:40 | 博士の思草
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